ネタバレを含みますので、まだ読んでいない人はご注意ください。
あまり読書をすることがない、私の妻が珍しく読みたいと言っていた「傲慢と善良」。
全く予備知識なしに読みましたが、非常に読みやすく、エンターテイメント性のある本でした。
「婚活か・・・運よくそんなことをせずに結婚できたけど、もししなければいけないなら本当に大変そうだな」と思いながら、あっという間に読み終えてしましました。
表紙のような美人さんが主人公なら、婚活は苦労しないのでは?と一瞬思いましたが、そのあたりの考察をも含め、自分の恋愛観を交えながら、感想を書いていこうと思います。
傲慢と言われても男はそんなもんじゃない?
架は真実に70点をつけるという、傲慢なところが書かれていますが、結構気持ちがわかってしまうのは自分だけなのでしょうか?
もちろん自分自身、架ほどモテたわけでもないし、恋人がいない期間のほうがずっと長かったけど、付き合っているときには、相手が自分のことを好きで、別れたりするのも、結婚を決めたりするのも決定権は自分にあるように思えるような勘違いをしたことがあります。
傲慢は痛恨の一撃の呼び水
そのときの心境は「相手はそれほど特別な恋人ではない」と架と同じように思ってしまっていました。
もっと良い人が現れるのではないか、と。
なので架は自分にとって割と身近に感じることができるんですよね。
私自身のことで言えば、そんな風に思っていた彼女にこっぴどく振られました。
まさか振られるとは思っておらず、恋愛経験が少なかった(というよりも初めて付き合う関係になった人でした)ことも相まって、めちゃくちゃ後悔しました。
「これが失恋か、死ぬほどしんどいやんけ!こんなんだったらもっと大切にしていればよかった」と。
胸にぽっかり空いた穴は自分自身よりもはるかに大きく、異常なくらい長い間、尾を引いてをずたずたに心を傷つけてくる凶悪な代物でした。
今、振り返れば少し苦さが残りますが、経験しておいてよかったとも思います。
それは今だから思うのであって、もう一度同じ心境をリアルタイムで味わないといけないのなら、丁寧にお断りしますね。
失恋中の異常行動
さらに、失恋中は暇になると後悔で押しつぶされそうになりませんか?
私自身、そんな精神状態を脱したかったのか、錯乱していたのか、
「歌って案外失恋ものも多いな、もしかすると歌詞でも書けばなんかすごいものが書けるんじゃないか!」
と何を血迷ったのかノートに失恋ソングの詩を書いた記憶があります。
ノートはもう紛失したので、発見されることはないでしょうが、万が一その詩を見つけてしまったら・・・
恥ずかしさにのたうち回る映像がありありと見えてしまいます。想像するだけで恐ろしいのでこれ以上はやめておきます・・・そう考えるとシンガーソングライターってすごいですね。
ちなみに私の場合は10代から20歳前後にかけての話ですが、架に関しては30を過ぎてからの話なので、自分のほうがまだマシな存在なのかなと。
少し話は脱線しましたが、恋愛経験にかかわらず、男は割とこんな心境になるもんじゃないのかな?と思いました(主語が大きかったら申し訳ありません)。
でも、読んでいくうちに、架は真実をしっかりと好きだったんだと感じました。
なぜ70%なのか?
アユと真実の違い
それは昔の彼女と今の彼女との違いじゃないだろうかと思います。
昔の彼女はすでに終わってしまって、手に入らないものになっています。思い出が美化されている部分もあるかもしれません。過去の恋人と結婚しようと本気で思ったとしても、責任はありません。
だってどうあがいても結婚できないのですから、「あの頃に戻れたとしたら結婚するのに」と妄想しているだけに過ぎないのです。
一方、今の恋人は本気で結婚しようと思ったら結婚という責任に対して真正面から向かい合わなければいけません。
架がもし本当に過去に戻れたとしたら、思い出すのでしょう。やっぱりこの人でよいのだろうか?と。
私の経験
たぶんこのブログを読む人は少ないと思いますので思い切って告白しますが、私は冒頭に書いた彼女に振られた数年後に復縁することになりました。
振られた後から、もし過去に戻れるなら絶対に大切にするのにと、考えていたにも関わらず、いざ復縁するとなるとまたしても
「本当にこの人でよいのだろうか?」
と、思ってもみなかった思考が頭をよぎるのです。嘘みたいでした。
最初に付き合っていたころにはもっと別にいい人がいるかも、なんて傲慢なことを考えていたのは事実ですが、数年たっても改心せず成長していない自分に驚いたものです。
結局そんなことを悩みながらの恋愛はうまくいかず、あっけなく終わってしまいました。
現在進行形だから迷う
終わった恋は美化されるとよく聞きますが、相手の良くないところを忘れてしまい、良いところだけ思い出すんだ、とずっと思っていました。そういった部分があるのも否めませんが、どうも違う気がします。
「もっと○○していたら、もっと良い恋愛にできていたのに」
終わってしまった恋愛を思い出す出発点はいつもここ、現在完了形。
妄想の中では、相手は変わらない、自分は変えることができる。自分さえこうなれば100点の未来が待っている。という筋書きなのです。
妄想すればするほど、より輝かしい未来が待っている。そして何故か、過去の恋人に対して
「もっと○○していてくれたら、もっと良い恋愛できたのに」
なんて不思議と思わないのです。もちろん、もっと○○してくれたら・・・と不満に思うような恋人は過去にいましたが、そういった人は実際にはほとんど記憶にも登ることはほとんどなく、忘れていきました。
でも現在進行形で付き合っている恋人には
「もっと○○してくれたらいいのに、もっと○○になってくれたらいいのに」
といろいろと要求が出てきてしまい、それがこのままでよいのだろうか、という葛藤につながっていることがしばしばありました。
いくら好きでも、どうしても100点にはなりにくいカラクリがこのあたりにあるのではないのでしょうか?というのが私の見解です。
ましてや何年も引きずった架の元恋人のアユと、責任と要求がある現在の恋人の真実。
比較されれば、誰だって分が悪いと勝手ながら思ってしまいます。
ちなみにアユとの結婚も細かな理由は違えど、結果的には断っていますからね。万が一復縁したとしても、「本当にこの人でよいのだろうか」という葛藤が生まれたんではないかと推測します。
もちろん金居のように人間ができている人にはそんな葛藤は起こらないのでしょうが、そんな人ばかりではないし、架のほうが人間臭くて私は好きです。
ちなみに、あくまでおおざっぱな性格の私の経験談なので、多くの人や、繊細さを持つ架に当てはまるかはわかりませんが、男の性ということでそう遠くもないような気がします(またもや主語が大きいかもしれません)。
善良は従順
箱入り娘という言葉は昔からありますが、まさに真実が現代の箱入り娘のステレオタイプなんでしょうね。
ここで善良という言葉が使われていますが、真実は善良というより従順に近い存在なのではないかと思ってしまいます。
従順というのは主がいる、ということで、ここでは母親をはじめとする父親、家庭、群馬県内の小さな社会が真実の主人でもあったわけです。
主人とは安心、安全を与えてくれるが、その中での規則を真実に押し付けてくる存在。
真実は安心安全の中にいて、自分自身で考える必要もなく、傷つくことを全くしようとしない、その危うさや愚かしさにも気が付かない30代前半の結婚適齢期を過ぎかけた、大きな子供。
自力で考え、答えを出し、自分の力で生きるといった、大人になったら当たり前ともいえることができない人が多くなっているのかもしれない、と改めて考えさせられました。
自立と教育
自分の子供には自立できるように、なんでもかんでも世話を焼かないようにしようと。そういえば私の父は
「子育てというのは、子供が自分自身で立って歩けるようにすることだ」
と何かの拍子にこんなことを言っていました。
私の小さいころを思い起こすと、甘えさせてくれるのが母親で、それを見てやりすぎだと判断したら
「自分でさせなさい」
と子供のためになんでもすることを自制していたように思います。
おかげで一人暮らしも地元を離れてもそんなに苦労することがなかったと思います。
真実の親と違い、そのあたりは本当に感謝ですね。
小野里さんの評価と美奈子のマウント
とりあえず結婚するのが良いとする小野里さんの言葉は真理だと思いますが、あまり好きではありませんでした。
結婚紹介所の仕事にはプライドを持っているにも関わらず、相談所に来る人を見下している、そんな気がします。京都の「いけず石」をしれっと置くような、表面上は優しいけど怖い人のイメージですね。
それは紹介所が最後の手段としてくる人に、いらだちがあったのだろうけど、善意で結婚相談所をやっているなら架に対して、どんな人か見てみたかったなんて言わないはずです。
この言葉の裏には金居よりどれだけ条件が良かったんだろう?という黒い好奇心が見え隠れします。
本当は婚活に来る人間を見ているのではなく、その人間の持つ外見や性格、学歴、収入を点数化して、真実がどれほどの値段を自分につけたのかを知りたかったんではないかと。
そのうえで「ふーん、こんな点数をつけたんだ。自力で結婚もできないくせに」と半ば見下した感じだったのだろうと思います。
上品にスレている人なんだと。
もし金居がダメだった理由を小野里さんに言ったとしたら
「結婚したら、ファッションなんて些細なことよ」
なんていうのではないでしょうか。結婚している立場からのマウントをとってきそうだと思ってしまいます。
実際に真実は金居の人の良さ、いわゆる価値の高さをわかっていながら、それを受け入れられない葛藤があったのですが、小野里さんからはそれを想像できなかったのだろうと思います。
同じスレているにしても下品なのが美奈子ですね。
恋人ができたことがない女性に対して優越感バリバリの非処女の学生を彷彿とさせます。ただただ非処女というだけでマウントをとってくる感じのアレですね。アラフォーにもなったら、結構な痛さがあります。
でも、自分を振り返って、気が付かないうちにマウントおじさんにならないように気を付けないとなとも思いました。
真実に対して思うこと
前半の真実に関してイライラすることが多かったです。
現代の病なのか?
「傷つきたくない」
これ、すごくびっくりしたのが、ちょうどこの前に読んでいた「イン・ザ・メガチャーチ」で、敏腕プロデューサーの国見まことが言うセリフの中に出てくる言葉なんですよね。
しかも文庫本の解説がその作者の朝井リョウさん。
その感想がこちら→イン・ザ・メガチャーチの感想と陰謀論とモデルの三浦春馬に関して。
「物語」とか「視野」とか何か似ているようなところがありますが、現代人が生きにくい世の中になっている一端は、実は「傷つきたくない」という欲求にあるのではないかと考えさせられます。
「自分は傷つかずに、自分の思うように物事を動かすにはどうしたらいいのか?」
その答えが真実のストーカー事件の真相なのでしょう。嘘がばれなかったら傷つかなかったはずですからね。
初心者が危険なのはどの業界でもそうですが、嘘の初心者とは言え、ちょっと大胆すぎる行動でしょ?と言いたくなります。
傷つかずに自分が得をしようという人は、さわやかではなく、卑怯ですし、それを傍観する立場(読み手)だから余計にイライラもするのかなと思います。
しかも自分に酔っているような写真をインスタグラムでアップするのであれば、心証は非常によろしくありません。なんで架はこの人を恋人にしたんだ?見る目があんまりないのかな?と少し疑問でした。
しかし、後半、大きな間違いを犯し、依存ではなく、自立をしようともがき様々な経験をする真実に対して徐々に嫌悪感が和らいでいきました。
さすがは作家!
婚活をしているという劣等感が、真剣な恋愛していることを気づかせませんでした。
それは架や真実だけでなく、読者の私にも。
もちろん恋愛小説に分類されていたのは知っていましたが、結婚するかしないかに注目ばかりしていた。
登場人物もそこに主眼を置いており、思考の最初に「結婚するには・・・」とか「結婚するために・・・」という思考がまず入っていたことは間違いないでしょう。
でもストーカーを装って気を引こうとしたり、傲慢さに気が付いて真摯に相手に向き合ったりしていくことは紛れもない、純粋な恋愛なんです。
2ちゃんねるの掲示板で見るような、年収や年齢、外見で家電を選ぶように結婚相手を選んでいるような、部外者が外から見ている婚活とは全く違う、真剣さがそこにあったのです。
婚活だから恋愛では無い。もしくは恋愛をすっ飛ばして結婚する見合いのようなもの、といったなんとなく持っていた先入観を
「大恋愛」
という思ってもみない言葉で心をさわやかにさせました。
見る角度が違うだけでこんなにもロマンチックな印象になるなんて!
「おおっ!なるほど~!」
と思わず声が出てしまいました。
石母田のおばあちゃん、今も昔も変わらない恋愛のすばらしさをたった3文字にまとめるとは。この言葉を選んだ辻村さんはさすがはプロの作家だなと、ことごとく感心しました。
視点が変わるだけで、こんなにも見え方が違う物語。
このさわやかさを味わうために、この小説を読んでいたんだと思えるくらい、この言葉はよかったです。
震災地でいろいろな人との出会いの中で急速に成長していく中、真実の主人が真実になっていく過程も面白かったです。
何より「傷つきたくない」とは思いながら、いよいよ覚悟を決めて、架と話す最後のシーンもさわやかまみれでしたが・・・
「(式場を)キャンセルして」
って、その前に言わないといけないことあるだろ!ってちょっと意地悪ができるようになった真実に思わず突っ込んでしまいました。
まあ、私が架の立場だったら、「えっ?キャンセルって、ここまで来てやっぱり振られたのか!?」って勘違いして倒れてたかもしれませんね。
結局表紙の女の人は誰なのか?
ネットを調べたら答えはすぐに出るかもしれませんし、作者の言葉が出てくるかもしれませんが、それでは面白くないので、自分の独断と偏見を書こうと思います。違っていると思うのであしからず。
物語の中で、この表紙に当てはまる女の人が出てこなかったように思いました。
「うーん、これ誰なんだ?やっぱり真実なのか?」
といろいろ考えましたが、真実にしては違和感がいろいろあります。
作中では真実の目はこんなにはっきりとした二重ではない記述があるし、アユだったらこんな少し憂いた表情をする理由がよくわかりません。
他に女性と言えば真実の母親か小野里さんの若いころか、金居の奥さん、真実の姉の希実か・・・
どれもしっくりきません。
もしかすると、インスタに乗っている真実の写真ではないのかなと思いました。
だったらずいぶん美人になっていることも、少し憂いた表情も、表紙を飾る理由も全部説明がつくなと。もしかすると自分に酔っている表情なのかもしれないなと。
最後に
結局くっつくんかーい!
って突っ込みながら本当に良かったと思いました。
文学作品などは、最後の結末がよくわからないことが多いのですが、この本では私の期待することがエピローグでしっかりと書かれており、すっきり終わったのでとてもよかったです。
あと、婚活という現代の闇の部分でもある題材なのに、なんでこんなにさわやかなんだ?と疑問でした。
イン・ザ・メガチャーチも押し活という現代の闇の部分でもある題材なのにこれほど読後感が違うのか?
私が考えるには
「成長」
の有る無しなんでしょうね。
恋愛は所詮エゴ
ミスターチルドレンの歌に
恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム
という、私にとっては「確かに」と納得がいくフレーズです。
恋愛の本質はエゴです。誰でも良いわけではないし、できればカッコよくて、頭が良くて、愛嬌があって・・・といろいろ注文するのは当たり前なのではないでしょうか?
初対面で結婚という形式でないなら、そこに恋愛の入る余地はある。
恋愛ならエゴを出したってそんなに問題ないはず。
それが「婚活」という舞台に立つだけで、「傲慢」になってしまうわけです。
ケツに火がついてることに気が付きながら、それでも自分のエゴと妥協の間で、必死に相手を探そうと苦悩しながら前に進もうとしている。そう考えると、婚活は本当にハードな修行のようなものなんだなと、この物語はフィクションかもしれませんが、そう実感することができました。
婚活に翻弄されてすり減っていく話も山のようにあったはずなのに、前向きな結末にしてくれてありがとうございます!と作者の辻村さんに言いたいです。
あと、自分事なんですが、運よく結婚できた自分をほめてあげたい。そして、結婚してくれた奥さんに出会えたことに感謝しないといけないな、と改めて思わされました。
