アイドルを含め、押し活というものの意味がよくわからん、なんでそんな無駄なことをするんだろう?となんとなく疑問に思っていましたが、非常に解像度が上がったのではないかと思います。
このストーリーのカギは視野
押し活と宗教は似ている。その共通点『視野の狭ばめる』こと。
その視野を狭めようとするための最も有効な手段が、『物語』いうわけですね。
社会を観察して、その中から選りすぐりの信徒、要するに熱の高い1万人を作り出し、そこからお金を搾り取ろうと狙っている人がいます。それが感情の揺れが一切無いように描かれている国見まこと。
しかも仕掛ける側は搾り取るなんてひどいなんてことを言おうものなら、これが信者のためになるという暴論をいかにも説得力を持たせて語りかけてくる。
なんかおかしくない?と思えるのだけれど、うーん確かにそうかもと思ってしまいます。
自分だったら、口頭で言われた直後に反論はできなさそうですね(多分内向的な性格もあるから)。
しばらく時間がたってから、
まるでアヘンを売りつけておいて、「中毒者が欲しがるから売ってあげることはいいことなんだ」、と言っているのと大して変わらないからおかしいと思うよ、
なんて言葉が思いつくのがやっとだろうな、と思ってしまいます。
間違えもせず満たされもしない
しかしこの生きにくい社会の中で、そういったものを欲しがるのはなんとなくわかる気がします。登場人物はどこかに不満を抱えていて、その解決方法が自分では見つけられない。
視野が狭いほうが幸せなのか、それともそんなワナに引っ掛からない視野の広い持ち主のほうが幸せなのか?
物語の最後では究極と言っていいほど視野を狭めた澄香が幸せそうに笑っているが、この先待っているのは地獄なんでしょうね、現実的には。
アヘンを吸っているときには夢の中にいることができるだけで、それが抜けると父親の久保田のように耐えがたい症状が出てくるはずです。そして、その夢を見れる幸福な時間は短いわりに代償が大きい。
しかし、その快楽は押し活をすることでしか得られない。
仕掛けた張本人の国見まことでさえ、その快楽を知らないし、おそらく今後も体験することがないのでしょう。
久保田に視野を狭めるってやっぱり楽しかったですか?と2回も問いかけていることに少し違和感がありました。おそらく久保田を馬鹿にして言った言葉でないのでしょう。
本当はちょっと興味があるけど、踏み込むととんでもない代償を払うことを知っているからこその質問だなと。
人は何のために生きるのか?
確かに誠実に、視野を広く持っていて、間違いを犯さなければ、何の問題もなく50年もすれば死んでいく。
熱狂できたと心から夢中になれたものは何もない。
世界を正しく分析し、その知識を使ってうまく生きているだけ。感情が抜け落ちているような感覚。
何のために生きてきたのか?周りは人生を謳歌して、何かに熱狂してるように見える。これで良いのだろうか?もっと楽しく良い人生にできたのではないだろうか。
40代の男性は特にこんな思考になりがちなのではないかと思います。実際に私も昔は違いましたが、最近よく考えるようになりました。久保田の悩みは決して他人事ではないように思います。
だからこそ『やってこなかったことが・・・』という40代に刺さりすぎるフレーズの冒頭につながるのでしょう。
時代は良い方向へ変わってきているのに
この本を読んでいると、どんどん悪循環な思考に落ちていくことに気が付きます。しかし、私はここで少し立ち止まってしまいます。
我に返ることが怖いとあるけど、そんなに怖いのかな。苦しくむなしいこともあるけど、結構楽しいきがする、と。
よくよく考えれば、澄香も絢子も久保田でさえ、どこか自分に甘い。
こんなに頑張っているのにこんな生活をしないといけない、とか、食べ物を我慢するだけでダイエットするとか、解決方法はそれでいいの?と疑問を持ってしまう。
絢子が頑張っているのは日々の生活であって、それをよくするためのもうひと頑張りではない。
例えば本を読んで自分自身を高めるとか、副業を頑張るとか、転職するとか。
澄香に関しても食べ物ばかり気にしていないで運動をやれば、またそれを習慣にできれば解決できてたのではないかと思う。
同じことしかしていなければ、違う明日が来るわけがない。自己啓発本によくあるフレーズだけど、その通りだと思っています。
しかし、本人たちにはそのことが見えず、わかりやすく袋小路へ迷い込んでしまう。
ただ、おそらくですが、解決策を提示されても本人たちは納得しないのだろうと思います。それは『見たくもない現実に引き戻すことになるアドバイス』になるからなのかもしれません。
要は現実に向き合いたくないのです。
こういうときによく思うことがあります
もし、視点を変えることができるなら、全く違った人に数日だけでも変われるのなら、答えは出るのかもしれない、と。
例えば、とんでもなく不潔な環境で、命を縮めながら今日のためにお金を稼ぐ炭鉱夫とか、不治の病に侵され、明日死ぬともわからないような状況の人とか。もしくは飢饉が起きてしまい食べ物に困ってしまった時代の人など。
それらの劣悪ともいえる環境で過ごさなければいけない人生を考えれば、今の時代、しかも日本に生きていられるということだけで、どれだけ幸福なのか。
命が脅かされない環境がどれだけ恵まれているのか、感謝しても良いくらいではないかと思ってしまいます。
便利に快適になれば生きる強さを失ってしまうのか?なぜ今の人たちが生きづらくなるのか?
人間の欲望は際限がないといわれるけど、楽して何かを手に入れたいという欲求をこじらせてしまった末がこの感情なのだろうか、といろいろ考えてたら、この文章を思い出しました。
疲れたくない。傷つきたくない。自分からは何もしたくない。だけどすべてが欲しい。自分が抑圧されたり軽んじられることだけは一切許さない。
なるほど。本の中に答えがありました。クソほど甘い考え方だと思ってしまします。
でも、こんな甘ったるい考えをしていたら、悪い奴がそっと近づいてきて、ぱっくり喰われてしまうのはわからんでもありません
『所詮この世は弱肉強食』
るろうに剣心の悪役、志々雄誠の言葉ですが、真実はいつまでたっても変わらないのでしょう。実際に緋村抜刀斎もこれ自体を否定していませんしね。
今の時代の日本では少しわかりにくくなっているけど、確実に弱肉強食ではありますよね。
食べられる側には恐怖や痛みはなく、あるのは幸福
被食者は食べられてしまうときに苦痛を伴うと思っていましたが、完全に死ぬ状況になれば、幸福を感じるホルモンが出るらしいのです。
押し活という、弱者が強者に食べられるという行為を見れば、まさにその感じなのでしょう。さらに一瞬ではなく、じわじわ食べられながら幸福な状況になる。
なんともグロテスクな光景でしょうか。
ここでハッと気が付きました。この情景がどうしても気持ち悪いのです。どうしても気持ち悪い。
だから、私は昔からAKBとか押し活とかそういったものを見ないようにしてきたんだなと気づきました。
自身の体験
と、ここまで書いてきて、自分自身はどうかというと、視野が著しく狭まっていた時期がありました。アイドルではなく、陰謀論です。
トランプ不正選挙・陰謀論とエプスタイン問題
何を隠そう、私には数年前に流行った陰謀論にどっぷりとつかった過去があります。
三浦春馬はディープステートにやられた(おそらく物語の倫太郎は三浦春馬でしょう)。なぜなら永遠の0に出演しており、思想も右だったから(誰かからのまた聞きなので、本当か不明です)。
アメリカの選挙では不正が行われており、バイデンは中国とつながったうえでトランプの表を操作した、なんて話を本気で信じていました。
だから就任式の日に大逆転が起こる!
自分の両親にも、トランプが大逆転するだという趣旨のことを言っていました。
なんでトランプが光の戦士だとわからないんだ、と本気で思っていたあの日。
なんやかんやと、結局トランプが大統領に任命されるんだ、と。
両親は傍目に冷ややかな目で私を見ていたことを思い出します・・・
実際、夜中NHKでアメリカ大統領就任式を見ましたが、なんとっ!
・・・何も起きなかったんです。
そこで、ハッと我に返りました。
「騙されたのか?」
それまでバイデンはエプスタイン島に行っていて、幼女に対してひどいことをしたとか、人の革で作った靴を履いていたとか。とんでもない悪人が大統領になって世界はどうなるのか?
と心配で仕方ありませんでしたが、その4年の大統領の任期が終わった今も世界はあんまり変わっていません。
つまり視野狭窄を起こしていたんです。
そのメカニズムは簡単。
youtubeはエコーチャンバー
右側の人たち、いわゆる右翼系からしか情報をとらず、いろいろなところからの情報を遮断し、自分が正義だと思うことに熱中していたからです。
なぜみんな騙されているのに気が付かないのか?なんて本気で思っていた痛い人の仲間入りをしていました。
この体験で分かったことは、誰かの目を通した世界の見え方は一方的で、すべてではない。そしていつの間にかその地点からの情報しか信じなくなってしまい、視野が固定され、さらに近視眼的になってしまう。
そうなれば陰謀論信徒の出来上がりです。
毎日、闇のクマさんとか、及川さんのyoutubeをチェックして、虎ノ門ニュースを見ながら、テレビは嘘ばっかりだと嘆いていました。
youtubeがある現代ではそのエコーチャンバーはものすごく強力なのだと実感する体験でしたね。
人の話はどんなに信用できそうな人でも、話半分に聞くのが良い、というのが私の結論になった、ある意味非常に貴重な経験でした。
ただ、つい最近、本当にエプスタイン文書が出てきたのは驚きました。
でも、今の心境はこの視野狭窄が再発しないように気を付けようと思うだけです。
もしバイデンが本当にそれをしていたとしても、ほら正しかっただろ!?と熱狂する気になれません。
ただ、しっかりと関連した人に罰が与えられるように願うくらいです。
陰謀論で唯一勉強になったこと
一つ勉強になったことと言えば、その情報を流している人は誰なのかを注意するようになりました。
youtubeでもテレビでもほとんどがポジショントーク。
その中に真実はあるかもしれませんが、嘘も入っているかもしれません。
自分の目で確かめられないことならば、自分には大した影響はなく、それよりも自分の目で確かめられるものを頑張って何とかしないといけない。
例えば家族や仕事などですね。
これが最終的に得られた教訓でした。
視野が広いはとはいろいろな地点から近いところ、遠いところを見る能力
本自体はフィクションかもしれませんが、実際にある話なんだろうなと思うと、ぞっとします。
人を操ることに熟知している人がいて、その能力を私利私欲のためにふるっているということですからね。
絢子の陰謀論は視野を広めることで加速した
いづみや絢子は視野を広く持つことで陰謀論者のメガチャーチへのめりこむことになるが、視野を狭めることが信徒になることなのになぜこんな風にのめりこんでしまうのか、不思議でした。
ただよく考えてみると、誰かが用意したのぞき穴を遠くから見ていたけど、一歩、より近くに寄って覗き込んだだけなのかもしれません。
今までよりも視野を広く感じるけど、結局は世界全体ではなく、ある地点からの特殊な景色しか見ることができなかった、と考えると辻褄が合うように思います。
少なくとも、いろいろな地点からの視野ではないのは間違いありません。
また絢子は最後我に返っていたように思いますが、ただただ自分を使い果たしただけの状態。
私は大丈夫だ
と絢子は言っていましたが、自分を使い果たした後はどこに行くのだろうか、とても気になりました。
そこは自分を使い果たすこと説明をしていた国見の話でも、使い果たした後の続きの話はありません。たぶん、商業的な価値が無くなるので、興味がないのでしょう。
もし絢子が信徒から離脱できたとしても、またせっせと味噌球を作っては溶かす作業に行くのではないかと心配です。
でも、目が覚めたいづみと一緒に立ち直りながら、太いつながりを作り、物語に依存しなくても前を向いて生きていける未来があればいいなと思いました。
まとめ
澄香はINFPによる生きづらさ、久保田は男は孤独、女性は小さな助け合いをするため、孤独ではないという物語、絢子は恵まれなかった幼少期、昔の自分はよくないと思っていた世界や日本の政治に対して。
不安や不満はどこにでもあり、それを持つ人たちの共通点を見出し、物語に巻き込み、不安に怪しくも甘い安堵を混ぜながら、視野を狭めてさらに加速させていく。
恐ろしいのはそれの青写真を思い描いて、コッソリとワナにはめる人がいて、知らない間に絡み取られているかもしれないことです。
それぞれ三者三様の終わり方でしたが、一人は中毒の離脱による禁断症状、一人は中毒でラリっている。一人は廃人になっているのか、それとも麻薬とは違い、行きつくところまでいけば再生するのか。
もしかするとこの3人の中で一番良い結末を迎えたのは絢子なのかもしれないなと思いました。
